【2019→2020過ぎたものもこれから来るものも】

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2019過ぎたもの

ー儚きものの美しさ

よく「気づいたらあっという間に20代なんてすぎて30代からはその倍速だよ」と聞く。ウチの母親もいとこのおばさんも、おじいちゃんおばあちゃんなんかも。勿論若い時にしかできない経験が沢山あると思うし、自分の夢や野望を掴むタイミングを逃してしまうこともあるかもしれない。

だけど、過ぎた過去の時間を恐れることを原動力に前を進もうとすることは何かに急かされているかのような気がしてあんまり好きじゃない。

特に社会に出てみてこの1年感じたことだが、これからの事なんて何もわかりやしないじゃないか、と思ってしまう。

学生というステータスは先の未来が、先輩の背中が少し見えるけど

社会に出たら1枚1枚のスライドを自分で作成してプレゼンしていくような感覚に陥る。さーて、今日はこのスライドを作ってさんのために発表するぞ、みたいな。

はじめから堂々と目次を書けるほど自分の人生における先見性は無いらしい。

よく百人一首で満開の桜ではなく散り際の桜が美化されて読まれる事が多いように、同じく過去の時間を儚きものとして、美しいものとして自分の心にしまっておきたい。そっと。

だから2019年も儚きものとして自分の心にそっとしまっておきたいと思う。

飲んだ時にでもこそっと話すくらいに、ね。

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https://www.beiz.jp/%E7%B4%A0%E6%9D%90/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89/00125.html

 

2020これから来るもの

ー ”いい”感じではなく、”いる”感じに。

 

昨年末に働き方研究家として多くの書籍を出版されている西村佳哲さんのイベントにたまたま足を運ぶ機会があって、

そこで話されていた事がとても印象的で、「質の良い事=ベストなのだろうか」という問いだった。

私たち(私は、かもだが笑)はこれまで、テストで好成績とること=最善 として捉えてきた節があって ”何が一番最善か” つまり、”いい” 感じを目指してきた。だから働く中でもそのスタンスが頭に常にあった。悪いことではなく、それが自分の得意なことと重なることもあって貢献できたかな...と思うことも自分なりには存在していた気がする。しかしそうではないことも。

2019のことを少しだけ打ち明けてしまうと、ただひたすらに課題に向き合う時間だった。というのもそもそも”課題”ってNの数ほどその視点ごとに解釈が異なり、本当に解決する必要があるべく根幹の課題にアプローチする必要があるから、とっても ”最善” を評価しにくい。やる意義があるからこそやり甲斐もある一方で時には歯切れが悪い感触も得た1年だった。「今私が(あなたが)とった行動ってあってたの?」と。でもある程度でその思考に制限をかけないと自他共に過剰評価してしまい、イヤな奴になりかねない。

2020年は”最善”ではなく”ポジティブな意味での存在感”のある事、在り方をしたいなあと思う。いつも道でクシャッとした笑みをしながら挨拶してくれるおばあちゃんみたいな?!

多数ではなくても全然良い。誰か一人にとって”あなたがいるから”と思ってもらえるように。

 

最後のおまけ

ー好きにやろう

 

テレビを見ること自体が減ると共にCMもあまり目にしなくなっているこの頃だが、

年末からお正月にかけて急にテレビの前に貼り付いちゃうと、CMも自ずと目につく。

年始バージョンいなっているものも多く「良いなあ」と思うものも。

今回の年末年始ver CMで特に思わず歌詞を検索しちゃったものがauのこのCM

人生でも1年でも1日でも、その瞬間を生きるのは自分で拘束を作るのも自分で。

自分にとって”好きにやろう”というスタンスはずっと忘れたくないなぁ、と改めて感じたのだ。

好きにやろう!!

 


TVCM | au「みんな自由だ」篇