”主体性”とは。

忙しくて中々更新が遅れてしまったのですが更新です。

 

先週はFREE PJTとは別に関わらせて頂いていた

”渋谷民100人未来共創プロジェクト”

http://platinum.mri.co.jp/seminar/project/shibuya-legacy-index)という 
渋谷の まちづくり に関してワカモノがアイディアを半年間かけて出し合いカタチにしていくプロジェクトの最終発表会イベントが終了しました。

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半年以上関わらせて頂いた中で”主体性”というワードについてとても考えさせられました機会でした。

そもそも、”主体性”とは何か。

”積極的”とか”実践的”となにが違うのか。

”主体”とは”客体”と対峙する自分自身を指しますが、
私は自分の事も相手の事も認識した上で自分に納得した選択を取る事ができる状態 の事を”主体的”と言うのではないかと思います。

このPJTの中でも途中でフェードアウトする人、途中から参加する人、常に熱量を持って前に進もうと周りを巻き込んでいく人と色々な人がいました。

ただ、全ての事柄に対して他人事にするのではなく自分事にして選択できていればそれは”主体的”なのではないかと思うのです。

 

この主体的になれるマインドは自分の人生においても、また凡ゆる社会の問題に対しても非常に重要な作用を齎していると感じます。

自分の人生の選択肢を他人に委ねていたり、目の前の課題を他人事と捉えて自ら行動に移すことを諦めてしまったり。

はあちゅうさんのセクハラパワハラに関する発信(https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.ij3OMDqZA#.qpwMxjZzN)やウーマンラッシュアワーの社会を風刺した漫才(https://www.youtube.com/watch?v=pAHQGLOCbwo)を拝見して、めちゃくちゃ大事だなと。

まだ見ていない・知らない方には見て頂きたい。

 

人が自分の人生や社会の事象を自分事化するマインドを持つことが出来るために何ができるのか、真剣に考えていきたい。

そして、もう一つ。その考えている文脈の中で私が人にとっての初めての社会である「家庭」の中で何ができるのか模索している”FREE PJT”の参考になりそうな「思春期の子供を持つお母さんのための勉強会」を受けるために京都に行って参りました。(https://hataraku703.com/seminar/sisyunki-vol2/←polca支援してくださった方、本当に有り難うございました!!

「人が行動するのか行動しないのかを決めるのは全てその人自身である」という前提事実が親子関係にも通づる所はあるものの、子供は親の笑顔が見たいが故に親に言われて行動してしまう事が多々ある。それでは子供の主体性は損なわれてしまう可能性があると言うお話。ただ、そこに対してどの様に第三者が関わってエゴにならずに力になる事ができるのか。そもそも力になれるのか。それによって”主体性”が育つのかー。

またその価値があったとしたら社会に対してどの様にその価値を伝えていこうかー。

勿論、様々なセクターによって主体性は育成されると思うのだけれど

「親子」という部分から何かできないか、年内あともう少し考えて行きます。

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京都で一緒にお話ししてくださったお母さん方、主催の株式会社NAOMIの駒井さんに

感謝して。ではまた。

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