テクノロジーは貧困を救えないのかー。
ブログの更新遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。FREE Project.の草田です。
FREE Project.は2017年の10月に渋谷のパナソニックが運営する100BANCH(
http://100banch.com/projects/free-project/)という施設にて始めたプロジェクトで、3月までそこで活動させて頂く事になっています。
今日はずっと書きたくて書けなかったある本の紹介をしたいと思います。
”テクノロジーは貧困を救わない”
この本、とある先輩に紹介して頂いて年末年始読んでいました。
題名がインパクトありますよね。
最近、どの業界を見てもテクノロジーとの掛け合わせでイノベーションが起こるとされていて、edtech,Fintech,agritech...などなど の用語があるくらいテクノロジーの可能性が社会で取り上げられているのに、なぜ...?と。
ここでは
テクノロジーは人間の意志によって初めて役立てられるのであり、人間の能力を増進する「増幅の原則」があると説明しています。
例えばSNSの普及によってアラブの春が起きたと言われていますが、社会が自由になろうと動きが起きたのはSNSではなく、根本に民主化しようという個々人の思いと市民社会にその土壌があったからであって、その思いをテクノロジーが増幅させた訳ではないという事です。
同じ様に貧困の子供達に教育の機会的今日のためのテクノロジーを付与しても
それを使う意義や、スキルがなければ貧困を救う事には繋がらず、全くの無駄な投資と援助になってしまうのです。
様々な社会の問題があり、複雑化してきている中、私たちは介入パッケージに過度な期待をします。(ここでの介入パッケージとはテクノロジーの他に選挙・法・政策・ワクチン・マイクロクレジットetc...)そしてどの様な効果が出るのか測定しようとします。その成果に基づいて予算が付くからです。
さらに、実施者は受益者がそのパッケージを”うまく使いこなしてくれる”高い能力 と”使いこなそう”という前向きな意志を期待します。
その結果、受益者にとっての幸福や課題の解決方法を見誤り、無駄な支援を組み立ててしまいかねない事になるのです。
社会課題が深刻であればあるほど、この受益者の上記の能力が低いと言いいます。
では、そもそもその様な能力が高い組織や人はどんな要素を持っているのでしょうか?
本書では三つ取り上げています。
心・・・未来の自分のために、人生を良くしたいという強い意図がある事。
知・・・自分の置かれた状況を理解し、人やチャンスに適切で慎重な判断ができる事。
意志・・・自分の意図する事に向けて最善の自制心を持つ事。
なるほど...と思いました。わかりやすい例で言うと、
ダイエットして綺麗になりたいと思った時(心)に、この脂っこいものは食べてはいけないという適切な判断力を持ち(知)、揚げ物を食べることを我慢する(意志)ことですよね笑
この全体のスキルをあげることを内面的成長と著者は呼んでいます。
介入パッケージが重要ではないと言っているのではなく、内面的成長こそが制御不能な究極の大義である、と。
更にこの内面的成長を考えるに当たって願望に着目しています。
マズローの欲求を踏まえて、最高峰が自己超越的な他者志向になる。
国の近代化に伴って願望の段階は異なるものの、その願望が満たされること=発展ではなく、その願望が進化していくこと=発展なのです。
そしてその進化は個人と社会の間で補強され合います。
その補強し、される関係にあるメンターがどこにおいても必要であると書かれています。
但し、その関係性は自由意志に基づいた選択がされていること・行動計画や取り組みの条件は被助言者が決めることが重要であると忠告されています。
親子関係を考えようとしている私にとってこの本の文脈で書かれている内面的成長の話、そしてその為に必要なメンターの存在。
一つ一つがずっしりと重く、響いてきました。
私たちにはどんな発展が必要なのか、どこに向かうべきなのかを、きちんと考えていく必要がある。その為には介入パッケージだけを見るのではなく、その奥深くにある大事な人間の内面的成長をこそ見ていかないといけない...と思わされました。
ではまたー。とあえず、試験です。
”主体性”とは。
忙しくて中々更新が遅れてしまったのですが更新です。
先週はFREE PJTとは別に関わらせて頂いていた
”渋谷民100人未来共創プロジェクト”
(http://platinum.mri.co.jp/seminar/project/shibuya-legacy-index)という
渋谷の まちづくり に関してワカモノがアイディアを半年間かけて出し合いカタチにしていくプロジェクトの最終発表会イベントが終了しました。
半年以上関わらせて頂いた中で”主体性”というワードについてとても考えさせられました機会でした。
ーそもそも、”主体性”とは何か。
”積極的”とか”実践的”となにが違うのか。
”主体”とは”客体”と対峙する自分自身を指しますが、
私は自分の事も相手の事も認識した上で自分に納得した選択を取る事ができる状態 の事を”主体的”と言うのではないかと思います。
このPJTの中でも途中でフェードアウトする人、途中から参加する人、常に熱量を持って前に進もうと周りを巻き込んでいく人…と色々な人がいました。
ただ、全ての事柄に対して他人事にするのではなく自分事にして選択できていればそれは”主体的”なのではないかと思うのです。
この主体的になれるマインドは自分の人生においても、また凡ゆる社会の問題に対しても非常に重要な作用を齎していると感じます。
自分の人生の選択肢を他人に委ねていたり、目の前の課題を他人事と捉えて自ら行動に移すことを諦めてしまったり。
はあちゅうさんのセクハラパワハラに関する発信(https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.ij3OMDqZA#.qpwMxjZzN)やウーマンラッシュアワーの社会を風刺した漫才(https://www.youtube.com/watch?v=pAHQGLOCbwo)を拝見して、めちゃくちゃ大事だなと。
*↑まだ見ていない・知らない方には見て頂きたい。
人が自分の人生や社会の事象を自分事化するマインドを持つことが出来るために何ができるのか、真剣に考えていきたい。
そして、もう一つ。その考えている文脈の中で私が人にとっての初めての社会である「家庭」の中で何ができるのか模索している”FREE PJT”の参考になりそうな「思春期の子供を持つお母さんのための勉強会」を受けるために京都に行って参りました。(https://hataraku703.com/seminar/sisyunki-vol2/)←polca支援してくださった方、本当に有り難うございました!!
「人が行動するのか行動しないのかを決めるのは全てその人自身である」という前提事実が親子関係にも通づる所はあるものの、子供は親の笑顔が見たいが故に親に言われて行動してしまう事が多々ある。それでは子供の主体性は損なわれてしまう可能性があると言うお話。ただ、そこに対してどの様に第三者が関わってエゴにならずに力になる事ができるのか。そもそも力になれるのか。それによって”主体性”が育つのかー。
またその価値があったとしたら社会に対してどの様にその価値を伝えていこうかー。
勿論、様々なセクターによって主体性は育成されると思うのだけれど
「親子」という部分から何かできないか、年内あともう少し考えて行きます。
京都で一緒にお話ししてくださったお母さん方、主催の株式会社NAOMIの駒井さんに
感謝して。ではまた。
関係性によるイノベーション
ブログを更新。
FREE Project(http://100banch.com/projects/free-project/)代表の草田です。
NPO法人ETICの鈴木敦子さんにメンターについて頂きながら進めております。
先日お話ししていた中で非常に面白い視点だなと思った点は
”人と人との関係性がイノベーションにつながる”のではないかという事。
どういうことかというと、
親子間でも友人関係でも部下と上司の関係でも、社会の中で人と何かしら関わりを持って
自分の意思決定をしている時に、何に挑戦しても自由に包摂される環境を各々が作っていれば
イノベーティブになるのではないか。
今何かしらに足かせを感じていて自分の選択肢を狭めてしまっているのは
その人の所為ではなく、社会の所為なのだと思います。
私はまずは家族の中をせめてその人の可能性を最大限に活かせる環境にして行きたいのです。
”家族”の中に入って行くのは本当に難しいと痛感していますが!!
そういえば、昨日はPanasonicの会長が100BANCHIを訪問され、私のプロジェクトについても
お話しさせて頂く貴重な機会がありました。
”親子関係は縦関係が当たり前。親の言うことは絶対。”
そんな日本の文化が普遍的に浸透しているからこそ、このプロジェクトを子供の立場にある私がやっている事に
驚いている様子でした。
なかなか大きな壁ではありますが、前に進んで行けるようにベストを尽くそう。
では。
ブログを始めてみることにした。
初めまして。大学生3年の草田彩夏です。ブログを開始することにしました。
というのも、10月に渋谷の100BANCHI(http://100banch.com/projects/free-project/))にて当初一人で”FREE Project”とういうものを立ち上げて、約1ヶ月半の折り返しに地点にきた今、本当に沢山の方のお言葉や協力を頂いて本当に一歩一歩、前進しています。
そんな中で、これからそんな中で気づいたことや分かったこと、感じたことを
きちんと言葉にしていきたいし、周囲の方々に還元していきたいと思ったからです。
恩返しだけでなく、恩送りとしても。
今日はまず初投稿としてなぜ、私がこのproject を始めたかについて少し述べようと思います。
原点からお話しするとめちゃくちゃ長くなるので
、簡潔に理由を二つお話ししたいと思います。
一つ目は、自分の原体験から。
小学校の所謂お受験から体験してきた私にとって親の存在はとても大きく、だからこそ成長するに従って自分の気持ちとか考えを押し殺してしまったり、いつのまにか親の思いを優先して、考える機会が損なわれてしまっていたのではないか…(と,まあ今だから冷静に言えているのですが)、当時はかなり葛藤や親との衝突があってかなり辛かったのです。
そして、私の友達にも未だに進路や就職の話になると親に自分の気持ちを打ち明けられず、親の望む道に行く、と決めている子なんかもいたりします。そんな中で 親と子がお互い想い合っているのに行動がすれ違ってしまっているのではないか という疑問が湧いてきたのです。
二つ目は、私が成し遂げたい社会に近づけるため。
私はもともと社会課題の解決(うーん、漠然としてますね。自分と他者がどの様に幸せになるか、という事かな...)に興味があって、様々な活動をさせてもらっている中で気づいたことがありました。
それは1人では何も解決できないこと。
1人1人が目の前にある課題の解決に挑戦できる様になれば社会の課題は誰かに押し付けられることはないのでは??、と。
一方で私の周りの大学生を見たときに、大半が
「自分のやりたいことわからない…」と困っている様子。
当たり前だと思います。
「こうしなさい。頑張れば○○があるよ。」等とゴールを設定されて、正解が提示されてきた中でいきなり、自分で答えを探しに行かなくてはいけないのだから。
私は、もっと多様性を受容できる様な環境があれば、もっと自分らしく人生の選択や行動ができるのではないか、と思いました。私も周りも。
そんな環境を構築する事で
”自分らしさ100%で考え、選択し、行動できる人と社会を創っていきたい”です。
これは私の挑戦でもあります。
ざっくりですがまた細かくは今後書いて行くことにします。
何かコメントや感想いただければ嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします!!では。