自分らしさ有っての努力

努力って何でしょうか。

昨日はフィギア金銀メダルを羽生選手と宇野選手が取り、今日はスピードスケートで小平選手が金メダル。
メディアも大きく報道する中で私自身も選手の頑張りに胸を打たれました。

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自分の努力した時の経験何かを回想しつつ、
”私は努力するその過程は結果をより強固なものにするし、結果はその過程や努力を正当化するのだ” と漠然と感じていました。

しかし、そんなに単純で表面的なものでは無いような気がふとして忘れないうちに書いておこうと思いました。

努力の人として尊敬され、結果が出るまでのプロセスなどが様々なメディアを通して取り上げられていますが、
努力は自分自身が決めたこと、つまり自ら選択したものに対して向き合い、突き進んでいく姿勢で有って、努力する事だけを美化して目的にしてはいけないのでは?と思うのです。
何が言いたいかというと、結果が出る人というのはこうやって自分自身にひたすら向き合い続けて、それでもやると決めてやり続けて、自分自身の目指す理想像になれた時=結果が出た時なのだと思います。
だから、努力は辛くて厳しいものなのに耐えた事=偉いというのは日本人的な美徳の精神であって本質は別の所にあるんじゃ無いかな...と考えに至りました。

「社会と自分を比較して自分を辛い、可哀想な人間だ、でも耐えて努力する...偉いぞ自分...」とするのではなく
「自分自身に辛くても見つめ合い続けて、本当に自分のしたい選択をする時に生じるゴールまでの道のりを一生懸命に突き進んでいくぞ...」という違い。


前者はどうしても結果を追い求めすぎて自分が本当に大切にしたいものや追い求めているものを見失ってしまう。そして、結果が出ない時に周囲の人間や社会を恨む。

誰かに○○と言われるから、社会が○○だから...ではなく
自分自身に向き合っていける事、それが”自分らしさ”にも繋がってきますよね恐らく。
そして、それこそが自由なのかもしれません。


”自由”はぐーたらと楽をする事でもワガママになる事でも無く、自分に向き合いながら少しづつ得ていく簡単そうで難しい概念なのでしょうね。

FREE Project. もそんな”自由”を家族の中で子供の側から、社会の中で若者の側から作っていける為に何か貢献できますように。


そして、私自身も自分自身とひたすら向き合い続ける必要があると改めて気づかされました。