【2019→2020過ぎたものもこれから来るものも】

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2019過ぎたもの

ー儚きものの美しさ

よく「気づいたらあっという間に20代なんてすぎて30代からはその倍速だよ」と聞く。ウチの母親もいとこのおばさんも、おじいちゃんおばあちゃんなんかも。勿論若い時にしかできない経験が沢山あると思うし、自分の夢や野望を掴むタイミングを逃してしまうこともあるかもしれない。

だけど、過ぎた過去の時間を恐れることを原動力に前を進もうとすることは何かに急かされているかのような気がしてあんまり好きじゃない。

特に社会に出てみてこの1年感じたことだが、これからの事なんて何もわかりやしないじゃないか、と思ってしまう。

学生というステータスは先の未来が、先輩の背中が少し見えるけど

社会に出たら1枚1枚のスライドを自分で作成してプレゼンしていくような感覚に陥る。さーて、今日はこのスライドを作ってさんのために発表するぞ、みたいな。

はじめから堂々と目次を書けるほど自分の人生における先見性は無いらしい。

よく百人一首で満開の桜ではなく散り際の桜が美化されて読まれる事が多いように、同じく過去の時間を儚きものとして、美しいものとして自分の心にしまっておきたい。そっと。

だから2019年も儚きものとして自分の心にそっとしまっておきたいと思う。

飲んだ時にでもこそっと話すくらいに、ね。

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https://www.beiz.jp/%E7%B4%A0%E6%9D%90/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89/00125.html

 

2020これから来るもの

ー ”いい”感じではなく、”いる”感じに。

 

昨年末に働き方研究家として多くの書籍を出版されている西村佳哲さんのイベントにたまたま足を運ぶ機会があって、

そこで話されていた事がとても印象的で、「質の良い事=ベストなのだろうか」という問いだった。

私たち(私は、かもだが笑)はこれまで、テストで好成績とること=最善 として捉えてきた節があって ”何が一番最善か” つまり、”いい” 感じを目指してきた。だから働く中でもそのスタンスが頭に常にあった。悪いことではなく、それが自分の得意なことと重なることもあって貢献できたかな...と思うことも自分なりには存在していた気がする。しかしそうではないことも。

2019のことを少しだけ打ち明けてしまうと、ただひたすらに課題に向き合う時間だった。というのもそもそも”課題”ってNの数ほどその視点ごとに解釈が異なり、本当に解決する必要があるべく根幹の課題にアプローチする必要があるから、とっても ”最善” を評価しにくい。やる意義があるからこそやり甲斐もある一方で時には歯切れが悪い感触も得た1年だった。「今私が(あなたが)とった行動ってあってたの?」と。でもある程度でその思考に制限をかけないと自他共に過剰評価してしまい、イヤな奴になりかねない。

2020年は”最善”ではなく”ポジティブな意味での存在感”のある事、在り方をしたいなあと思う。いつも道でクシャッとした笑みをしながら挨拶してくれるおばあちゃんみたいな?!

多数ではなくても全然良い。誰か一人にとって”あなたがいるから”と思ってもらえるように。

 

最後のおまけ

ー好きにやろう

 

テレビを見ること自体が減ると共にCMもあまり目にしなくなっているこの頃だが、

年末からお正月にかけて急にテレビの前に貼り付いちゃうと、CMも自ずと目につく。

年始バージョンいなっているものも多く「良いなあ」と思うものも。

今回の年末年始ver CMで特に思わず歌詞を検索しちゃったものがauのこのCM

人生でも1年でも1日でも、その瞬間を生きるのは自分で拘束を作るのも自分で。

自分にとって”好きにやろう”というスタンスはずっと忘れたくないなぁ、と改めて感じたのだ。

好きにやろう!!

 


TVCM | au「みんな自由だ」篇

 

#進める月 

 

#進める月

1月があっという間に終わって、今日の東京の空は気持ちの良いあおぞら。お腹に冷たい空気がすうっと入っていく冬の乾燥した感じは結構好きだ。

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私はここ3ヶ月前くらいから毎月の自分のハッシュタグを決めている。
よくインスタの投稿につけたりするやつ。
やる理由は誰かに見せたいとかではなくて、自分が”この1ヶ月はこんな月にしたいなぁ”という目標設定をして定期的に振り返れるツールだと思ったのと、そんなハッシュタグを日常から切り抜くことを意識的にできるなあと感じたから。

自分の中にこっそり秘めて偶にインスタに登場させるくらいのつもりでやっていたんだけど、今年は毎月きちんと言葉にして丁寧に振り返りができたらいいな、なんて(時間が今あるからかもしれないけれど)思いつきでブログに書いていこうと思う。

1月の#は「#進める月」
2019年が始まって最初の月だからこそ、新しいことに取り組んでみたり、進んで目の前のことを丁寧に取り組む姿勢に心がけたり。そんな ”進める” ことを意識してみた。
例えば時間の許す限りで本とか映画とか読み進めたり。料理も定期的に。
日めくりカレンダーや毎日の日記もはじめた。偶に疲れたり、忘れてできないこともあるけれど、1日のはじめに”よしっ”って紙をめくって気合いを入れると頑張れる気がするし、寝る前に日記を書いて今日のできごとを思い出すと自然と”今日もお疲れさま〜”って自分にはなまるをあげられる感じがしたから結構良かった。

そして、結構大きかった出来事は1月で半年LITALICOの教室でしていたインターンが終わったこと。来春から働く仕事を敢えて先に知っておいて、春から心も体も良いスタートに向けた自分なりの準備がしたかったので、インターンをやらせてもらっていた。

半年間、沢山の先生の指導を見て感じたのはたったお子さん一人に、たった一人の親御さんにだけだけど、ものすごく丁寧に真剣に支援する姿。そして、先生同士も相手をリスペクトしあって仕事をしている優しい雰囲気。

そんな環境の中で、お子さん・親御さん・先生との信頼関係が仕事をする上で一番重要だと気づいた。
信頼関係には一つ一つ丁寧な目の前の人への心がけが重要であるということ。
頭だけではなく心も使うということ。

そんな日々が蓄積されていくと、次第に子供の見えている世界に私も入っていきたいという好奇心が高まった。目の前の人と対等に話すということはとても難しい。つい自分を相手と比べてしまって憶測で相手と自分の優劣を考えてしまう。でも相手が自分に対等に話してくれると自分も対等に話せる。子供にはそんなことを教えてもらった。

年末に大事な友達に会った時に「もっちー(私のこと)の朗らかさは、子供との関わりからきてるのかもしれないね」と言われた時に、「そうか、私って子供にものすごく影響を受けていたんだ」と気づかされた。今までそんなこと言われたことなかった。

子供と今話す時には子供が今何を考えているのかを知ろう、と思える自分がいる。そして相手だけではなくそんな姿勢は自分にも。自分がどんな時にどんな感情を持っていたり、どんな行動として現れているのかを素直に考えやすくなった気がしている。

あおぞらは、私の元気が出る強化子。(心理学用語:行動が増大するその人にとっての報酬となる因子のこと)

障害に関する知識や支援の方法において、全然まだ知らないことは沢山。
だけど、私は自分のペースで自分が大事とする価値観をしっかり持ちながら学んでいけたらと思う。4月から会うであろう子供にもそんな世界で生きることができる様にお手伝いしていけたら。

2月の#は何にしようかな。








 

2018年のチェックアウト

今年を振り返ることができる厳かな時間

晦日がやってきました。
1年の締めくくりな感じが全然しない、ああでも時間は過ぎていく...
この時間をどう使おうかな〜と思った時に、大晦日だからこそ今年を振り返ることができる大事な時間だなと思ったので、久しぶりのブログに残すことに決めました。
どうしてもいつも先のこと・未来のことを見がちだから過去の自分を振り返って、来年はこうしたいな〜っていうプロセスはすごく厳かでありながらワクワクできる時間かもしれません。

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私にとっての2018年は

私にとって2018年は”シフト”の年だったと思います。チェンジではなく、”シフト”。
これまでは何か成長しないといけないし、成長したい、という様な何か次のステージに上がるまで走っている感覚がありました。でも今年は自分に向き合う時間も他者と向き合う時間も多く、だからこそ見えてきた自分の在りたい姿を持てる様になりました。だから変わったけどチェンジではないかなと思ったんです。

この間私の最も信頼している人の一人と今年を振り返るWSをやりました。
肩書きにするWS→https://comemo.nikkei.com/n/nb7b75a87ab5b?gs=11982df5a535

1年間で自分がdoしたことをbeにするプロセスをこのWSでは行います。


私はこの4つを今年の肩書きにしました。

✔︎人間翻訳家
自分がこれから仕事としてLITALICOという教育や福祉分野の会社で働くことを決めたことで、自分の勉強や興味の方向が人間の思考・発達などにフォーカスされました。また、iLeapでは初めての人たちと共に約1ヶ月過ごすことで他者に向き合う機会が多かったです。自然と目の前の人がどの様な特徴を持っている人なのか...と考える瞬間が増えたなあと思います。翻訳家とつけた理由は、どんな人なのかを自分が理解できる様に翻訳することで相手を理解しようとしたからです。(本当に難しい。勝手に自分で翻訳することが偏見に繋がらない様に、ありのままの相手を理解することはとても難しいです。まあでも理解しようと思うことができた自分に、はなまるという意味で命名しました。)

✔︎家族ジャーナリスト
昨年から100BANCHにて始めた活動「紡ぎ家」ではファミリーカウンセラーの吉岡ゆうみさんと出会い、イベントを開催できたことが一つ大きな成功であり、感謝の機会でした。他にも様々な方と「対話」や「親子関係」、「家族」等について考える機会を持つことができたことで、次第に私も自分の家族と向きあう時間が増えました。
夏にiLeapでシアトルに行った時も同じく、ホームステイをしていたこともあって「家族像」を考えることが多かったです。自分が何か専門的な知識を持っている訳ではないから、研究家は違う気がするし笑、観察していたり感じた時間が多かったから、ジャーナリストかなと。

✔︎自分コンサルタント

見てわかる通り、自分が何を仕事にしたいかを考える過程で沢山の方々に相談に乗っていただき、その度に自分で内省し、自分の本当の心の声に耳を済ませることが沢山在りました。本当にありがとうございました。納得した決定ができたことは決断を受け入れてくれた家族を含めて沢山の人に受容してもらったからだと思っています。
同時に意外と自分のことであっても、今この瞬間にどんな感情を抱いているのか気づけないことが多いし、苦手だということも分かったので、どうしたら更に自分が生きやすい環境で自分の得意なことをしていけるのか探していこうと思います。


✔︎生活デザイナー
上の部分にも通づることですが、「〜しなくちゃいけない」という様に自分で自分を枠にはめるのではなく、今この瞬間を自分がどうやって生きたいかをすごく大切にしたいと思える様になりました。その上で最近は自分が日常生活の中からワクワクやトキメキを感じる事ができたり、自分の感情に素直になれる環境設定を作る工夫をしています。
例えば自分がどんな月にしたいのかを#ハッシュタグをつけて決めてみたり。
友達と朝に自分の感情を1日の始まりのチェックインという意味で言葉にして送ってみたり。
そんな一つ一つ自分にも相手にも丁寧に過ごせる瞬間が積もり重なって人生がお織り成していけたらいいなと思っています。

2019年は
来年は環境が変わり、更に自分にも他者にも仕事を通して向き合う事が多くなることと思います。そんな中でも大事にしたい時間・人・モノには正直に。丁寧に生きたいと思います。
もし迷った時、助けが必要になった時には手を貸して下さると有り難いです。
2019年もよろしくお願いいたします。

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フランスに行った時の。今年は沢山海外にも行くことができました。色々な世界・考えをこれからも知りたい。



 

シアトルから帰国しました -check out-

8月1日~25日までアメリカ・シアトルにあるNPO法人iLEAPで、リーダーシップやソーシャルイノベーションについて学んできました。新しい人・食べ物・言語の中で過ごした期間で感じたこと考えたこと。

ileap.org

言語化しないと頭の中から抜けて行ってしまう気がして、日本に着いた瞬間、成田空港の匂いを嗅いだ瞬間に体が日本に最適化しようとすることを恐れて、この文章を飛行機の中で書きました。笑

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文章を1つにまとめるのは難しいので、いくつかの視点から。

【”自分”について】

・主語を必ず自分にすること/自分を好きでいること

私は自分よりも相手に気が向いてしまう傾向にあるけれど、周りがどうであれ自分は自分であれ。ということを感じてました。そういう環境でもそういう国でもありました。自分が何をしたいのか・何を食べたいのか・人に合わせない自分を魅力に感じる強さと心の余裕を持つことが、結果的に自分と他人を愛することができると思います。

・自分の感情を察知する・相手に伝えることは思ったより難しい

→これは”私”を俯瞰した時に思ったことで、人を考察する力はあるかもしれないけど、自分自身の感情に向き合うことが苦手。何かにイラついてたり、モヤっとしていてもそれは我慢するか、相手やその事象ではなくそれを取り巻く社会に原因があると考えるようにしていました。でも、我慢することや何かの因果関係を頭で考えても、解決しないこともあります。いくら頭で考えていても、それで心の悩みは解決するわけではありません。前に進む状態にするためには、自分の事象の見方を変えるだけではなく、自分以外の誰かとその問題を共有して解決策に向き合うこともできると気づきました。

 

【”他者”との関わりについて】

・チームワークがなぜ大事なのか

チームワークは相手の強みと弱みを補完し合うことで、その組織(チーム)を前に進めること、と認識してました。

それは客観的には理解できるけれど、自分が1 on 1の関係性に悩みを抱えている時に、ある人に言われてハッとしました。

何でも自分自身で解決しようとしたり、とりあえず心の中において置くのではなく人に話すことで(上述したように相手に自分の感情を伝えてみることにも繋がりますが)前に進むことができるからこそチーム・仲間は大事なんだ…と。

 

・推測で人も物も捉えない

人の過去を知ったり、目の前の事象を捉える時に「何となくこういう人(もの)だ」と直ぐに捉えてしまうのは、相手にも失礼だし色眼鏡で見てしまうことにつながる。もの(プロジェクト)においては、ゴールがブレることで本末転倒になる。もっと相手を知ろうと体当たりしてみること。もっと相手を対等にみること。これは私のこれからの課題です。

・変えられるものと変えられないものがあり、変えられるものに着目すること

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

 

これは以前キズキ共育塾の安田さんのお話を伺った時に紹介されていた詩で心にとても響いていた言葉でした。

東京にはない素晴らしい自然があるシアトルという環境や共にいる人たち・自分の弱みや強み、どれ一つ取っても良くも悪くも変えることができませんでした。それでも自分の考えや捉え方、行動を起こすことは変えることができる。自分と違う考えや価値観に出会った時は、変えられるものに着目するチャンスでした。人と違う自分を見つけた時に、その瞬間の感情や状態をどのように整理するのかー。自分を知るきっかけになりました。多様性という言葉は何だか意味よりも先行しているように感じますが、本当は相手を知り、自分を知ること。どうやって体ではなく、心で共存できるのかを考える必要性があると思いました。

 

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【家族について】

4週間弱、ホームステイをしていて感じたこと。「家族」について興味関心があるからこそ、とても良い時間をホストファミリーと過ごすことができました。

 

・夜は全員で基本ご飯を食べる

アメリカの通常勤務時間は8時ー17時。それでも働き方は皆結構バラバラ(IT企業が多いから)で食卓をみんなで囲み、今日どうやって過ごしたのかを話します。否定はせずに、それぞれが1日の過ごし方を肯定的に受け止めます。テレビは基本食卓にないので、ご飯後に一緒に見ていることが多いです。

・週末には家族全員で出かける時間を持つ

週末には必ず全員でどこかに出かけていました。家族と共にいる時間を増やすことで、会話量も増え、相手を知ることにつながりました。本当に沢山の場所に連れて行ってもらったり、話をしました。(沢山の体験をして欲しいというホストファミリーの愛が優しかった…)

 

・一人一人が対等

親が子供に対して何かを従うように言ったり、子供が親をリスペクトし過ぎたりするような上下の関係ではなく

横の関係。家の中でももちろん、家族連れの美術館や博物館では基本、親も子供も学ぶ姿勢を持ってきていて、

「子供のために」という雰囲気が全くなく、感じたことを共有し合う情緒的なコミュニケーションが行き交っていました。

例えば道端に咲いている花のことについて、美術館に展示されている作品について、新聞の一面に掲載されている写真について話す瞬間などが多くあり、
そんな中でなされているコミュニケーションが正に情緒的なコミュニケーション(以前ファミリーカウンセラーの吉岡ゆうみさんに教えていただきました)だと感じました。


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【食べ物について】

今回私がホームステイしたお家はビーガンのお家でした。(卵・肉・魚・乳製品・動物性油NG)だから、基本は野菜がメインの食事であとはお豆腐とか豆腐から作られたそいミートとか。

アレルギーがあるのと、環境問題(動物を殺傷することに対する考え方や、飼育する時に排出される動物からの二酸化炭素など)が主な理由です。

最初はキツイかな…と思っていたけれど、次第に慣れてきて他のものを偶に外食で食べると味が濃く感じたり、胃もたれしたり。逆に体が軽く感じたり、お腹が空きにくくなったり。

食べるものによって、体調や感覚の変化があったのが個人的にとても面白くて。レストランにも必ずビーガン対応のメニューがあったり、ビーガン専用のスーパー・調味料(マヨネーズとかチーズもビーガン専用のものがある)があるんです!

自分の食べるものが自分の体や社会にどう繋がっているのかを考えさせられた機会でした。日本に帰国して、自分の食べるもの、飲む物にもっとこだわりを持ちたい。

食べ物(栄養)が人間に与える影響や、人間と食と社会の関係性をもっと考えていけたら面白いな…と思いました。

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以上ここまでが取り敢えず私のこの3週間半のチャックアウト。

でもまだ言語化できていない部分もきっとあるので、是非沢山の人と話してじっくりと言語化できたら良いなと思います。

これから実は10月末に向けた国家試験に向けて猛勉強が始まるので、時間を見つけてお話できたら嬉しいです。

 

*iLEAPの活動はこれから日本で11月まで続きます。月1で協賛のマイクロソフト社で自分のプロジェクトの進捗を共有し合います。

 

今回の学びを得ることができたiLEAPの人たち、仲間たち、ホームステイの家族、日本の家族他全ての人に感謝を込めて。Thank you all of you!

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「私らしい」と思える心の余白を作っていきたい

はじめに

ブログを見て下さっている方は私の進路選択の経緯に関心を寄せて下さったり、とりわけ気に掛けて下さった方だと思います。本当にありがとうございます。
早いもので大学生活も残り数ヶ月。自分の進路も決めたタイミングで改めてこれまでの一瞬一瞬の経験・出会い・言葉が今の自分を作っているのだと心から感じますし、つくづく「自分は運が良い」と思わされます。この有り難さと感謝の気持ちをどうしてもお伝えしたいと思ったことから、このブログを書くに至りました。

 

幸せになるための人生なんだ

 

私は何のために生きてきたんだっけ

中学二年生の時の英語の教科書に哲学の文章が出てきて、めちゃくちゃこの問いと自分のこれからを考えた時がありました。(今思うと只の中二病w)
当時の私はものすごい真面目で、小学校・中学受験を経験していたためか潜在的に「他の人より努力しなきゃいけない」という焦燥感が人一倍あったような気がします。他人と比べて自分が劣っていると「まずいな...」と。勉強でも部活でもそう感じてました。

ちょうどこの頃東日本大震災が起こり、悲惨な状況が毎日の様に報道される日々。自分の苦手なことや辛いことはあるけれど、自分よりもっと苦しくて、辛い人たちが多くいることを知り、「自分よりも苦しんでいる人のために何か人生を通して成し遂げたい。」と強く感じたことを覚えています。そしてこの思いは被災地や途上国に趣くにつれて強まり大学入学後も続きました。
大学では若い力をフルに使って(今は絶対にできない)毎日インターンやサークルに勤しみ、「将来のために」と奮闘していました。

ある時「草田さんは何でそこまでして頑張るのか?」と聞かれた事がありました。
「社会課題の解決をしていきたいから。」ずっとそう答えていました。本当にそう思うし間違ってはいない。でもどこか心の中で何か違和感がありました。
「どこか本気で向き合えていない感覚。何なのだろう...」そう思いながら沢山の方と話していく中で「昔から他人と比較してどこか卑下していた自分自身の心の穴埋めをしたかったのではないか」「自分を正当化する手段としての社会課題だったんじゃないか」と気づいたのです。

「スキルを身に付けたり、頑張ることは手段であって目的ではない。
自分や自分を取り巻く周りの人を幸せにするために生きるんだ」

中二の時に考えた問いの答えが少し分かった気がしました。マズローの五段階欲求って認識していても自分の感覚に落とし込むのは難しかった...


「私らしい」と思える心の余白を作っていきたい

これは”今”の私自身が感じていることです。
誰にでも自分に苦手なことや、できないことがあると落ち込みます。勿論、できるように努力することは大切だし、常に成長し続けることで人間は進化し続けてきました。しかし、自分ができることに目を向けて頑張ってみる。苦手なことやできないことは、できる人に頼ってみる。そんな考えもあって良いのではないかと思うのです。

自立とは依存先を増やすことである

東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生が仰っている自立の概念です。誰に頼ることなく自分で何でもできるようになること=自立と考えがちですが、そうじゃない。頼れる先を自分の力で確立できることこそが自立なのだと。

「私らしいよね」と自分を受け入れられる心の余白を作ることで、その人の可能性が引き延ばされたり、生きづらさを解消していけたらー。そして自分だけではなく他者の強みを尊重し相手の苦手な部分を受け入れる人が増えれば、この社会はもっと優しくなるかもしれないー。

「家族」から自分の幸せを紡げる人を

私の周りにも同じように自分を過小評価し、周囲の環境に流されて選択をしたり、いつの間にか我慢することを覚えて、そこから解き放たれる自由な環境を手に入れるために働く!なんて人も多くいます。
「何故こんなにも自分に対して各々が自信を持てないのだろう...」
この疑問の答えとなる要因は一人ひとりの人生の中の様々にあると思うので、〇〇とは言えませんが、その中の1つとして私は「家族」という環境に焦点を当てていきたいと思っています。
この場で自分の家族の話は敢えて書きませんが、先ほど申し上げたその個人の「自分らしさ」や「成長」に大きく影響すると私自身が考えているからというのが1つの主観的理由。
もう1つは、マザー・テレサが世界平和のためにするべきこととして『家に帰って家族を大切にしてあげてください。』と言ったように、社会の最小単位である家族を幸せにすることが、世界を平和にすることに繋がるからです。この考え方もマズローの五段階欲求の話と通じます。

児童福祉・幼児教育分野へ

お伝えした通り、来年度からLITALICOという会社で働くことに決めました。

litalico.co.jp

働くことに障害のある方への就労支援・発達障害のある幼児のソーシャルスキルを伸ばす障害支援・教育サービス他メディア事業を展開する会社です。

理由は2つあって「家族」という環境に焦点を当てていくには、実際にご家族を支援する経験と知識を得たいから。もう1つは人間の「自分らしさ」と「成長」に最もアプローチし易い分野・環境だと思ったから。そして何より自分が1番自分らしさを体現できると感じたからかな!

 

「生きづらさ」を社会の側から無くしていく or 自分の側から楽しむ

「生きづらさ」という表現が適切なのか分かりませんが、社会課題と言われているもの含めた目の前の違和感や困りごとは私たちの周りに意識すれば沢山あると思います。
私はこの「生きづらさ」を社会の側(法律やサービス・制度)によってアプローチする方法ともう1つ、それを自分の側から認識を変えて「楽しんでみる」ことで小さくすることができるのではないかと考えています。
楽しんでみるというのは、「自分で少しでも良くできるのではないか」と動いてみる主体的な行為なので既述の「心に余白がある状態」じゃないと難しいことかもしれませんが...
私はこれから前者目線で動いていく一方で、後者にも挑戦していきたいと思っています。その1つとして100BANCHでの取り組みを形にしていくことは長期的な目標であり、夢です。8月〜1ヶ月iLEAPのプログラムにてシアトルに行ってきますが、これなそんな夢に向けた楽しみ方です。

ileapjapan.org

また、現在青山学院に在籍していますが4年間の大学生活の中での違和感や問題意識から「自分が楽しむことで、より良くする環境にできないか」と思い、取り組み始めた活動もあります。案外、自分が楽しんでいると一緒に楽しんでくれる仲間もいるものです。大学最終学年の今が1番青学生と会っている気がします笑

aogakutv.jp

 

最後に

拙い文章ながらここまで読んで下さった方に、本当に深く御礼を申し上げます。
ありがとうございます。この文書を通して私の考えを少しでもお伝えすることができたら嬉しく思います。今後もご指導・ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

 

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”人と向き合う”ってなんだろう。

ものすごい久しぶりの更新となってしまいました。

最近は他の人の各ブログをよく読んでいて、なんだか新しい人の考えや価値観に触れられるとワクワクして、更に正に言いたかった言葉をまるっと書いてくれてたりすると「これだよ!私が言いたかったの!」と1人で盛り上がったり笑。

久しぶりすぎてしまって何を書こうかなあ...という感じなのですが
この春(暦の上での)の学びを今日は綴ろうと思います。

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自分の進路選択の節目だからということもあるのですが、この春は本当に”人と向き合う”ことを考えた時間でした。ここで言う人は自分も他人も。

自分と向き合うと言うのは自分自身の特性を知ること。自分にしか分からない他の人との違いに気づくことです。自分がどんな時に幸せだと感じるのか、何に興味関心があるのか、または嫌いなのか等...         
これは意識しているかしていないか、の問題なので
普段あまりこれを意識しないで生きていると本当にエネルギーのいることで、最近漸く意識しながら自分に向き合うことができるようになってきたかな...と思います。

この春に私が取り組んでいるプロジェクトの中での「家族の中からどのように自分の幸せを紡いでいくのか」という話において、自分自身の幸せをすごく考えるようになりました。そして不思議と自分自身に向き合う事に前向きになると、他人に対しても前より寄り添えたり向き合おう、と思うことができたと感じたのです。

もしかしたらこれまで、自分にも他人にも少し粗雑だったかもしれない。
そんな感覚がありました。

ではなぜ他人にも向き合おう、と思うことができたのか。
それは自分と向き合うこと、つまり特性を知ると他人とのギャップに敏感になりその差を受け入れた上でどうやって埋めようか自分で考えるようになります。
そして周囲に自分を受け入れてもらう為に自分はどの様に行動したら良いのか、関係性を深く探ったり環境を自ら調整してその方法を模索します。
その過程が相手の気持ちや状況を考える事に繋がり、他人に向き合う事へ意識が向くのだと思います。

まだまだ自分に向きあっていく中では、周囲の人の言葉や自分への見方で特性に気づくことも沢山ありますが、だからこその家族や友人や職場の人なのではないでしょうか。

人に向き合うことを恐れたり、面倒になって逃げ出したりすると衝突が起きたり、自分自身を責めたり。全ての社会における衝突や紛争の原点かもしれません。

自分を、自分の家族を、自分の生きている社会に向き合うことが全ての解決の第一歩かもしれないです。

最後に、最近そんなことを思ったきっかけとなった2つの映画を紹介。
どちらも自分と向き合う強さを持つことで自分はもちろんのこと、周りの家族や社会をも変えていく素敵な事例を描いています。

www.disney.co.jp

movies.yahoo.co.jp

自分らしさ有っての努力

努力って何でしょうか。

昨日はフィギア金銀メダルを羽生選手と宇野選手が取り、今日はスピードスケートで小平選手が金メダル。
メディアも大きく報道する中で私自身も選手の頑張りに胸を打たれました。

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自分の努力した時の経験何かを回想しつつ、
”私は努力するその過程は結果をより強固なものにするし、結果はその過程や努力を正当化するのだ” と漠然と感じていました。

しかし、そんなに単純で表面的なものでは無いような気がふとして忘れないうちに書いておこうと思いました。

努力の人として尊敬され、結果が出るまでのプロセスなどが様々なメディアを通して取り上げられていますが、
努力は自分自身が決めたこと、つまり自ら選択したものに対して向き合い、突き進んでいく姿勢で有って、努力する事だけを美化して目的にしてはいけないのでは?と思うのです。
何が言いたいかというと、結果が出る人というのはこうやって自分自身にひたすら向き合い続けて、それでもやると決めてやり続けて、自分自身の目指す理想像になれた時=結果が出た時なのだと思います。
だから、努力は辛くて厳しいものなのに耐えた事=偉いというのは日本人的な美徳の精神であって本質は別の所にあるんじゃ無いかな...と考えに至りました。

「社会と自分を比較して自分を辛い、可哀想な人間だ、でも耐えて努力する...偉いぞ自分...」とするのではなく
「自分自身に辛くても見つめ合い続けて、本当に自分のしたい選択をする時に生じるゴールまでの道のりを一生懸命に突き進んでいくぞ...」という違い。


前者はどうしても結果を追い求めすぎて自分が本当に大切にしたいものや追い求めているものを見失ってしまう。そして、結果が出ない時に周囲の人間や社会を恨む。

誰かに○○と言われるから、社会が○○だから...ではなく
自分自身に向き合っていける事、それが”自分らしさ”にも繋がってきますよね恐らく。
そして、それこそが自由なのかもしれません。


”自由”はぐーたらと楽をする事でもワガママになる事でも無く、自分に向き合いながら少しづつ得ていく簡単そうで難しい概念なのでしょうね。

FREE Project. もそんな”自由”を家族の中で子供の側から、社会の中で若者の側から作っていける為に何か貢献できますように。


そして、私自身も自分自身とひたすら向き合い続ける必要があると改めて気づかされました。